だいたいにおいて私の競技レベル、つまりアラフォーのおっさんが 51.5km (スイム 1.5km、バイク 40km、ラン 10km)を3時間台、というのは練習していれば、まず達成できる。そんな人は、ゴロゴロいる。そして、そのために過酷なトレーニングは要らない。定常的なトレーニングをすれば、ほぼ間違いなく可能だ。
本番で完走できなくなる要因は数えるほどしかない。(1) 最初から完走するだけのフィットネスがない、(2) 実力以上のペースで競技をする、(3) メカニカルまたはフィジカルなトラブルに遭う、(4) メンタルなトラブルに遭う、というところだろう。
(1) と (2) は、つまり実力が足りないのだ。これはなんとしてでも避けるようにしている。だいたい救急車を呼んだり、死者が出たりしたら、翌年から警察が許可を出してくれなくなるかも知れない。だから、自分がだいたいどのくらいのタイムで完走できるか、というのは、予め分かっている。3時間くらいの実力の人間が、まぐれで2時間で完走できたりしないし、トラブルがなければ4時間かかることもない。ほぼ予定調和にことが進む。だから、感動なんてない。予めそのペースの負荷も分かっているので、特別な達成感もない。
(3) のフィジカルなトラブルというのは、水中でゴーグルが外れるとか、自転車がパンクするとか、落車するとか、足をくじいてしまうとか、そういうことだ。私は幸運にも、そういう目にあったことがない。だから、それを克服したときの感動を知らない。もしかしたら、感動するのかも知れない。けど、トラブルがなかったことに対して感動をする人っているんだろうか。もちろん、それは運がいいことではあるけれど、毎朝の通勤電車で怪我をしなくても感謝しない程度に、レース中にトラブルにあわないことにも感謝しない。
(4) はきつい。私は一度ある。泳いでいるときにパニックになって、泳ぐことを続けられなくなったことがある。またもや村上春樹が、分かりやすい記述をしていて、それはまさに私に起こったことと同じように見える。
海に入って、さあ泳ぎだそうとすると、とたんに呼吸ができなくなってしまった。いつもどおり顔をあげて呼吸をしようとしても、なぜかタイミングがあわない。呼吸が思うようにいかないと、恐怖が体を支配して、筋肉がこわばってしまう。胸がわけもなくどきどきして、手足が言うことを聞いてくれない。顔が水につけられない。(村上春樹「走ることについて語るとき僕の語ること」)
今でも似たような状態に陥りそうになることがあるけれど、なんとなくだましだまし泳いでいる。以前は泳げていて、あるときパニックになったので、泳げるのが常態だ。なので、パニックになると不快だけれど、パニックにならなかったといって感動したりしない。それが常態のはず、だと思い込んでいるからだ。
そんなわけで、トライアスロンを完走しても、私は感動しない。誰かを感動させられるとも思わない。達成感もない。誰かに強制されてレースに出たわけではないので「もうやらなくていい」みたいなことを思わないし、いつも大体の予想どおりのタイムからだ。その日は疲れたので休むだろうけど、またやりたい、と思う。
ただ、感慨はある。初めてトライアスロンに出たときは、感慨があった。これどこれは初めてときだけだ。
もうひとつ。これがわざわざレースに出る理由なんだけど、レース中は、トライアスロンだけをしていればいい、というのに感慨がある。楽しいなぁ、と感じる。プールで泳ぐときは、コースにいるペースの合わない人との接触を避けることに気を使う。自転車なら、信号や自動車、歩行者に気をつけないといけない。ランも、同じだし、脱水にならないように水を自分で持っていく必要がある。レースでは、そういうことを心配しなくていい。スイムとバイクとランを、連続してやってればいい。それがとても楽しく、それを楽しめることに感慨がある。
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