トライアスロンをやっていると言ったとき、やったことのない人は、たいてい、しんどそう、苦しそう、マゾなのか、根性あるのね、などのリアクションをする。問題はすべて間違っているということだ。
社交辞令なんだから、あははっていっておけばいいのかも知れない。だいたい最初からトライアスロンをやっているなどと言わなければいいのだろう。
それでも、ときどき本当に話を聞いて/話してくれる人がいて、エンデュランス・スポーツのとらえかたを、たがいに理解できるときがある。共感はしないとしても。
私が知っているトライアスロンは、過酷でも、マゾヒスティックでもない。根性も要らない。人生について学ぶこともないし、感動もない。マスメディアが見せたがっている(ように見える)トライアスロンとは大きく異なる。仮に、ゆとりトライアスロンと呼んでみよう。そういう取り組み方があることを、書き記すことを試みる。

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