たしかに寒い日には、ある程度寒さについて考える。暑い日には、ある程度暑さについて考える。悲しい時には、ある程度悲しさについて考える。楽しいときには、ある程度楽しさについて考える。前にも書いたように、昔起こった出来事を脈絡なく思い出すこともある。ときどき(そういうことはほんのたまにしか起こらないのだが)、小説のちょっとしたアイデアが頭にふと浮かぶこともある。でもそれにも関わらず、実際にはまともなことはほとんど何も考えていない。 (村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」)
個人的な観測範囲では、これが当たっている、少なくとも妥当である、と考えているランナは多い。だから、村上春樹の文章を基準にして、自分のそこからの離れ具合を考えてみよう。
運動する頻度が少ないので、各種目のスキルが低い。なので、かなり真剣にフォームを意識して、理想との差異を検知し、修正する、ということをしている。そして、これはけっこう忙しい。
たとえば水泳のストロークを考える。自分が想定している理想のフォームがある。右手を入水し、腕を適切であろう方向と角度で伸ばす。そのときに体幹がローリングして傾く。あるところで、ひじの角度をかえながら、これまた理想の軌跡を適切な力加減でストロークする。しばらく伸びてから、ひじを水面に抜き、再び入水する。これが数秒の間に起こる。
たいていの場合、理想的なストロークにならない。ローリングしすぎだったり、腕を伸ばしすぎてたり、軌跡が違ったり、力を入れるタイミングが早かったり遅かったりする。それを検知して、数秒後に訪れる次のストロークで修正する。しかも、右腕が1周する間、
左腕も1周していて、そちらも修正が必要だ。
実際にはこんなに見境なく修正を繰り返すわけにいかない。しばらくはかきはじめを意識しよう、ということで、ある程度まとまった距離のあいだは、かきはじめだけを意識、検知、修正を繰り返す。
これは結構いそがしい。練習中や競技中に、何かを考えているとしたら、その競技のことを考えている。
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